青森県農業協同組合中央会

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畜産と農業団体を育てる

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畜産(ちくさん)と農業団体(のうぎょうだんたい)を育(そだ)てる

 亮は、明治19年に是川村(これかわむら)(現在の八戸市(はちのへし))に市川武雄・たかの四男として生まれました。しかし、古い名家であるおじさんの家に子供がいなかったため、後継ぎとして迎えられ「山内 亮」になりました。

 亮は、中学校を卒業しただけですが、一生懸命勉強し、努力を重ね25歳で村会議員、26歳で県議会議員、42歳で衆議院議員、55歳で八戸市長になるなど、政治家としてどんどん偉くなっていきました。

 酒は飲まず、タバコを吸わなかった亮は、小学校に入ったばかりの子供たちに、農業の7つ道具(ナタ・ノコギリ・カマ・剪定(せんてい)バサミなど)を与え、先頭にたって農業の指導をしました。

 亮は青森県の産業振興のため、夏でも涼しい青森の気候条件を活かして、馬や牛を育てる畜産に取り組みました。ほかにも米やリンゴも作っていたので、農家を指導するにも説得力がありました。

 昭和5年には、早くも酪農に注目し、乳牛を飼うことをすすめました。その積極的な活動が認められ、県酪農農協連合会会長となり、さらに酪農を県内に広め、乳牛の品質をよくするため、さまざまな活動をしました。

 そのひとつとして、県内の酪農家を代表して、乳価(にゅうか)(牛乳の値段)の交渉を行いました。忙しい中でも自分で交渉に行き、酪農家と業者がお互い納得いくように努力し、青森県の酪農の基礎を築きました。

 亮は戦後、それまで軍用の馬を育てていた農家が生活に困っているときに、競走馬(サラブレット)を育てるよう指導していきました。現在も青森県から名馬を送り出しているのは、亮が残した功績といえるでしょう。

 昭和30年からは、県内JAの指導的な役割を担う、JA青森中央会会長になりました。昭和31年には、県経済連(現在のJA全農あおもり)が発足した時の初代会長を務めました。

 青森市にある県農協会館のロビーには、その偉業を長く伝えようと「山内 亮氏の像」があります。台座には「先生の真面目さは、農業、畜産業の振興において最もよく発揮され、特に青森県の農業協同組合発展の基礎は、実に献身の賜(たまもの)である」と書かれています。
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