青森県農業協同組合中央会

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青森リンゴの先駆者

青森あおもりリンゴの先駆者せんくしゃ

 青森県のリンゴは誰でも知っています。その収穫量といい味といい、まさに日本一です。その日本一の産業にした歴史を語るとき、菊池楯衛の名前を忘れることはできません。

 楯衛は1846年、津軽藩(現在の弘前市)の武家に生まれました。子供の頃から大変頭が良く、また、花や木が大好きな子供でしたが、武士が農業をすることは禁止されていました。

 楯衛は県庁で仕事をするようになりました。ある日、楯衛は国からきた文書を読んでびっくりしました。「西洋のリンゴは貯蔵すれば一年あまりもつ」と書いてあったからです。昔からある日本のリンゴは貯蔵がききませんでした。

 楯衛はひとり、北海道に渡りました。そしてアメリカ人の農業技師から果樹栽培の技術を学び、特にリンゴの接木つぎき苗木なえぎの仕立てについて研究しました。楯衛が31歳のときのことです。

 接木の仕方などを学んだ楯衛は弘前に帰りました。彼は早速仲間を集め、化育社という組織をつくり、北海道で学んだことを全て教えました。また、仲間にも自由に農業のことを学んでもらおうとしました。

 農業関係の書物を集めた農書閲覧所のうしょえつらんじょ(図書館)もつくった後、楯衛はリンゴ栽培一直線にすすみました。農民が朝早く尋ねてきてもいやな顔ひとつしないで、苗木を分けてやるほど農業に対しては理解と愛情が強い人でした。

 また、東北地方の各地を訪ねて歩き、青森県にリンゴが適していることを確かめると、埼玉県まで足を伸ばし、大量の苗木を買い、仲間に分けてやりました。

 「リンゴを育てる人は、自分に欲をもってはいけない」これは、楯衛がいつも口にする言葉です。良いリンゴをつくるには、人づくりから始めなければいけないことを常に心がけ、農民に接しました。

 楯衛の汗と努力、そして学問とがひとつになって、いま青森県のリンゴを支えているのです。また、全国的に有名な弘前城の桜も、楯衛が300本の苗木を取り寄せて公園に植えたと言われています。
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