青森県農業協同組合中央会

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農業教育に尽力

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農業のうぎょう教育きょういく尽力じんりょく

 菊池幸次郎は、弘前市大浦町に父・幸八、母・たかの次男として生まれました。父・幸八は勘定奉行を勤め、国立第五十九銀行の頭取の地位にありました。

 明治の頃、札幌農学校にクラーク教授という人がいて、その教授が「少年よ大志をいだけ」と言いました。幸次郎はその教えに感動し、札幌農学校に入学しました。

 農学校で一生懸命勉強し、卒業した幸次郎は札幌の小学校の先生になりました。その後、青森県に戻り、36歳の時、五所川原市の農学校に迎えられ、農業教育の普及に努めました。

 幸次郎は、深く豊かな学力を持っていました。明治42年7月、中里町(現在の中泊町)一帯に害虫が大発生し、稲を食い荒らして大騒ぎになったとき、幸次郎はいち早くその虫を調べ、深水管理ふかみずかんりを指導して、被害を最小限に食い止めました。

 幸次郎は、植物の鑑定にすぐれ、英語の原書を読み、深い思想の持ち主であったことから、のちに県庁に勤めてからは「百科事典」というあだ名で呼ばれたりしました。

 彼は、何よりも実習教育を大切に考えていたので、自ら野良着のらぎ姿で畜舎を掃除したり、下肥しもごえの汲み取りなどもしました。

 家庭では12人(9男3女)の子供に恵まれ、いつもボロ服を着ては本を読み、本に疲れると庭いじりをしました。

 「勤労は人間をつくる」という信念が幸次郎の心にいつもありました。そしてこの言葉は、仕事を成し遂げる時の出発点でした。

 幸次郎は83歳で亡くなりました。彼の残した功績はたくさんあります。学校をつくったり、学校や県、農業団体を通じて農業経営一般についても指導的な役割を果たしました。
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