青森の偉い人
リンゴの加工に道を開く/相馬 貞一(そうま ていいち)
貞一の生まれは南郷竹館村(現在の平川市)です。小さいときの名前は源太郎と言いましたが、どうしても政治家になりたくて名前を「政治」に変えました。
昔から頭がよく政治家への素質があり、専門学校に入学しました。しかし父の怒りをかい、途中で辞めてしまいます。困っている友人を助けていたのに、遊んでいたと誤解されたのです。
22歳になった貞一は、政治家になることをあきらめて、郷里で農家のためにがんばる覚悟を決めました。貞一と名前をかえたのもそのためです。山林を開いて新たに木を植え、栽培方法や売り方を工夫しました。
また、リンゴを加工して売り出すことを思いついたのも貞一でした。リンゴを使って、ジャムやジュースなどをつくる工場を各地に建てました。
貞一は、リンゴを通して人の「和」を説き、集落の皆が仲良くなるよう願いました。また、若い人のために夜の勉強会を開いたり、図書館をつくりました。
貞一が重い病気で倒れたときのことです。村人がこぞって、岩木山神社や近くの神社に病気の回復を願ってお祈りしました。
それほどまでに貞一は村人から慕われ、尊敬されていたのです。病気が奇跡的に治ったとき、村人は貞一の碑を建てようと山から石を切り出してきました。
それを聞いた貞一は「みんなの心はありがたいが、このようなことをしていただくわけにはいかない」と、建立をやめさせたということです。
貞一の死後、村人たちは立派な指導者としての貞一を称えるため、黒石市にある「りんご試験場」に頌徳碑、生まれたところには鎮魂碑を建てました。